レオニダス、テルモピュライで退かない

決断の瞬間 古代ギリシャ編 第1話 中高生向け

レオニダス、テルモピュライで退かない。当時の時代・生まれと育ち・出発までの経緯から、現場での出来事までをたどる。

テーマ: 古代ギリシャ想定読了時間: 約12分

当時の時代

透真
今回から新しいシリーズ、スパルタ編を始めるよ。舞台は古代ギリシャの都市国家、スパルタだ。
日和
ギリシャって、遠い話に感じるな。どんな国だったの?
透真
それを知る前に、一つ確認しておきたいことがある。日和、「スパルタ教育」って言葉、聞いたことある?
日和
うん、あるよ。すごく厳しく育てることでしょ?
透真
そう、今の日本ではそういう意味で使われてる。でも、この言葉がいつから広まったか知ってる?クロノス、教えてくれ。
クロノス
記録によれば、1969年、政治家・作家の石原慎太郎が『スパルタ教育:強い子どもに育てる本』という本を出し、70万部売れるベストセラーになりました。それ以来、日本では「厳しいしつけ」を指す言葉として広まったとされています。
日和
え、そんなに最近の話だったんだ。てっきり昔からある言葉だと思ってた。
透真
しかも、この今の意味は、本物のスパルタの教育とはだいぶ違うんだ。クロノス、本来のスパルタの教育について教えてくれ。
クロノス
本来の制度は「アゴーゲー」(※1)と呼ばれ、スパルタの男の子を兵士として育てるための、国が行う教育でした。7歳で親元から離されて集団生活が始まり、食事はいつも少なめに与えられ、必要なら盗みをすることも許されていましたが、見つかると厳しく罰せられました。18歳で大人と認められ、市民は60歳まで基本的に兵舎で暮らしていたと記録されています。
日和
ただ厳しいだけじゃなくて、生活すべてが軍隊のためだったんだね。
透真
クロノス、当時のスパルタという国の仕組みについても教えてくれ。
クロノス
スパルタの市民は8千〜1万人ほどで、政治と軍事を独り占めしていました。市民は商業や手工業をすることを禁じられ、農地を耕す仕事は、ヘイロタイ(※2)と呼ばれる、自由を持たない身分の人たちが行っていました。ヘイロタイの人口は15万〜25万人にのぼったとされています。
日和
市民は働かなくていい代わりに、戦うこと以外の生き方を選べなかったってこと?
透真
そういうことになる。今の「スパルタ教育」のイメージは「本人を成長させるための厳しさ」だけど、本来のアゴーゲーは、国が必要とする兵士を安定して生み出すための仕組みだったんだ。ただ、一つ注意しておきたいことがある。クロノス、この点について記録は?
クロノス
現代の考古学の調査や史料の見直しによって、後の時代の書き手が伝えたスパルタの姿には、実際より理想化されたり、大げさに書かれたりした部分が多いとする見方があり、これは学術的に「スパルタの幻影」(※3)と呼ばれています。
透真
つまり、今伝わっているスパルタの姿は、スパルタ人自身が書き残したものより、後の時代の外の人が「こういう国だった」と語り継いだ部分が多い、ということだ。このシリーズで扱う話も、そのことを頭に置いて聞いてほしい。今回の主役、レオニダスも、この社会の中で育った一人だよ。

生まれと育ち

透真
クロノス、レオニダスのお父さんは?
クロノス
父はアナクサンドリデス(※4)、スパルタの王でした。
日和
レオニダスも、生まれた時から王子様だったんだね。
透真
クロノス、アナクサンドリデスの家庭について記録は?
クロノス
記録によれば、アナクサンドリデスは長い間子どもができず、監督官(かんとくかん)(※5)という役職の人たちから、妻と別れて新しい妻をめとるよう求められました。本人が断ると、監督官と長老たちは、別れずに二人目の妻をめとることを提案し、本人はこれを受け入れました。最初の妻は、本人のきょうだいの娘(めい)でした。
日和
離婚はしたくないけど、二人目の妻を迎えるのはOKだったんだ。当時ならではの解決策だね。
透真
クロノス、それぞれの妻に子どもは生まれた?
クロノス
二人目の妻との間にクレオメネス1世(※6)が生まれ、ほぼ同じころ、最初の妻も妊娠し、ドリエウス(※7)・レオニダス・クレオンブロトスという3人の息子が生まれました。クレオメネス1世が先に生まれたため、長男として王位を継ぎました。
日和
レオニダスは4人きょうだいの中でも、王様になる順番からは遠かったんだね。
透真
クロノス、レオニダス自身の立場について記録は?
クロノス
レオニダスは三男であり、もともと王位につきにくい立場だったと記録されています。
透真
クロノス、クレオメネス1世が王位を継いだあと、異母兄のドリエウスはどうなった?
クロノス
ドリエウスは、クレオメネス1世が王位を継いだことに納得できず、自分の方が能力があると考え、その下でスパルタに留まることを望みませんでした。紀元前515年、北アフリカのリビュアという地域に新しい町を作ろうとしましたが、3年後、カルタゴという国と現地の人々の連合軍に追い出されています。その後、シケリア(今のシチリア島)でも新しい町を作ろうとしましたが、カルタゴなどの連合軍に敗れ、ドリエウスと部下の多くが戦死しました。
日和
王様になることをあきらめて出て行ったお兄さんも、結局は戦死しちゃったんだ。
透真
クロノス、王だったクレオメネス1世は、その後どうなった?
クロノス
クレオメネス1世は紀元前490年、たくらみが発覚してテッサリアという地域へ逃げ、その後スパルタに戻って王位に復帰しましたが、まもなく心の病になったとされ、家族によって木の足かせをつけられて閉じ込められました。閉じ込められている間に短剣を手に入れ、自分の体を傷つけて亡くなったと記録されています。
日和
異母兄が心の病になって自分で命を絶つなんて、すごくつらい最期だね。
透真
クロノス、クレオメネス1世に息子はいた?
クロノス
息子の記録はなく、娘のゴルゴー(※8)が一人っ子だったとされています。
透真
クロノス、その後、王位はどうなった?
クロノス
ドリエウスの戦死と、クレオメネス1世の死、そして男の子がいなかったことから、三男のレオニダスが王位を継ぎました。レオニダスはゴルゴーと結婚しており、王位を継ぐにあたっては、クレオメネス1世の娘婿という立場でもありました。日本大百科全書によれば、王だった期間は紀元前488年から紀元前480年とされています。
日和
お兄さんが二人ともいなくなったことで、遠かったはずのレオニダスに順番が回ってきたんだね。しかも、亡くなったお兄さんの娘と結婚してたっていうのも、なんだか複雑な家族だね。
透真
当時のスパルタの王家では、親戚同士の結婚は珍しくなかったんだ。レオニダスのお父さん、アナクサンドリデス自身も、最初の妻は自分のめいだった。血のつながりを固めることで、王家をまとめようとしていた、という一面がある。

出発までの経緯

透真
レオニダスが王になって8年ほどたった紀元前480年、ギリシャ全体に大きな危険が迫っていた。クロノス、状況を教えてくれ。
クロノス
紀元前480年、ペルシアの王クセルクセス1世が、数十万人ともいわれる大軍でギリシャに攻め込みました。対するギリシャの連合軍は、まだ数万人しか集まっていませんでした。
日和
数だけ見たら、全然勝負にならないじゃない。
透真
だからこそ、連合軍が態勢を整えるまでの時間を稼ぐ必要があったんだ。クロノス、選ばれた場所は?
クロノス
山と海にはさまれた狭い道――テルモピュライです。大軍でも一度に通れない地形でした。
透真
その地形を使えば、少ない人数でも防げるってわけだ。
日和
地形を利用した時間稼ぎか。それで、誰が行ったの?
透真
クロノス、向かった部隊について教えてくれ。
クロノス
スパルタ王レオニダス1世が、300人の精鋭を率いて向かいました。この300人は「跡継ぎの息子がいる人」の中から選ばれています。
日和
跡継ぎがいる人を選ぶってことは、「死んでも家が途絶えない人」ってことだよね。
透真
クロノス、当時のスパルタの状況は?
クロノス
スパルタは当時カルネイア祭(※9)という宗教の行事の最中で、本来なら大軍を送れない時期でした。
透真
レオニダスは、その制約の中で動かせる最大限の人数として、300人を選んだんだ。クロノス、テルモピュライには他にどんな部隊が集まっていた?
クロノス
スパルタの300人に加え、テスピアイという都市から700人、テーバイという都市から400人が参加し、合わせて数千人規模の連合軍が構えていたとされています。
日和
スパルタだけじゃなくて、他の都市国家も一緒に守ってたんだね。
透真
クロノス、出発するときのレオニダスについての記録は?
クロノス
出発前にデルフォイの神託(しんたく)(※10)を受けていたという記録があります。「王が死ぬか、国が滅びるか」という内容だったと伝えられています。また、出発の直前、妻のゴルゴーに「良い夫と結婚して、良い子を生みなさい」と言い残したという話が記録されています。
日和
神託を受けて、しかも奥さんに別れの言葉まで残して出発したんだ。
透真
これが実際の判断にどう影響したかまでは、史料にはっきり書かれているわけではない。でも、こうした言葉を残して出発したことは、事実として記録されているんだ。

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『レオニダス、テルモピュライで退かない』の先で何が起きたのか

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用語解説

アゴーゲー

スパルタの男子に課された、国が行う軍事教育の制度。7歳で集団生活に入り、大人になってからも規律ある生活が続いた。

ヘイロタイ

スパルタに支配されていた、自由を持たない身分の人々。農地を耕す仕事などをさせられた。

スパルタの幻影

後の時代の書き手が伝えたスパルタの姿には、理想化や誇張が多いとする学術的な見方。

アナクサンドリデス

レオニダスの父。スパルタの王。二人の妻がいて、二人目の妻の子クレオメネス1世が長男として先に王位を継いだ。

監督官(エフォロイ)

古代スパルタの役職。王を含めた国の政治全体を見張る権限を持っていた。

クレオメネス1世

レオニダスの異母兄。アナクサンドリデスの二人目の妻の子で、長男として先に王位を継いだ。後に心の病になったとされ、自ら命を絶った。

ドリエウス

レオニダスの同じ母から生まれた兄。王位を継ぐ争いに敗れ、北アフリカやシケリアへ新しい町を作ろうとしたが、どちらも失敗して戦死した。

ゴルゴー

クレオメネス1世の一人娘で、レオニダスの妻。

カルネイア祭

スパルタで行われていた、アポロン神をまつる宗教行事。この期間は大きな軍事行動を控える習慣があったとされる。

デルフォイの神託

ギリシャのデルフォイという場所にあったアポロン神殿で告げられた、神様のお告げ。国の重要な決定をするときに重んじられた。

アルテミシオン

ギリシャ北部の岬。紀元前480年、テルモピュライの戦いと同じころ、ここでギリシャとペルシアの海戦が行われた。

サラミスの海戦

紀元前480年、サラミス島の近くで行われた海の戦い。ギリシャの連合軍がペルシアの海軍に勝利した。

プラタイアの戦い

紀元前479年、ボイオティア地方のプラタイアで行われた戦い。ギリシャの連合軍がペルシアの陸軍に勝利し、戦争全体の結果を決めた。

シモーニデース

古代ギリシャの詩人。テルモピュライの戦死者に捧げたとされる碑文の作者として昔から伝えられてきたが、今では本当に彼が作ったかどうか疑問視されている。

出典

  1. ウィキペディア日本語版「スパルタ教育」

    ja.wikipedia.org

    本来のアゴーゲー(国が行う軍事教育の制度、7歳での集団生活入り・60歳までの兵舎生活など)と、1969年の石原慎太郎の著書に由来する現代日本での意味の違いを記載。

  2. ウィキペディア日本語版「スパルタ」

    ja.wikipedia.org

    スパルタ市民(8千〜1万人)・ヘイロタイ(15万〜25万人)の人口構成、市民が商工業を禁じられていたこと、「スパルタの幻影」という学術的見方を記載。

  3. ウィキペディア日本語版「アナクサンドリデス(スパルタ王)」

    ja.wikipedia.org

    監督官と長老たちによる二人目の妻の提案、最初の妻が本人のめいであったこと、二人目の妻の子クレオメネス1世が長男として先に生まれ王位を継いだ経緯、最初の妻の子ドリエウス・レオニダス・クレオンブロトスの誕生を記載。

  4. ウィキペディア日本語版「クレオメネス1世」

    ja.wikipedia.org

    紀元前490年のたくらみの発覚とテッサリアへの逃亡、帰国後の心の病・監禁・自害、娘ゴルゴーが一人っ子であったことを記載。

  5. ウィキペディア日本語版「ドリエウス」

    ja.wikipedia.org

    クレオメネス1世の王位継承への不満、紀元前515年の北アフリカ・リビュアへの植民の試みと失敗、シケリアでの植民の試みと戦死を記載。

  6. ウィキペディア日本語版「レオニダス1世」

    ja.wikipedia.org

    父アナクサンドリデス、異母兄クレオメネス1世・ドリエウスとの関係、三男であり王位につきにくい立場であったこと、クレオメネスの娘ゴルゴーとの結婚を通じた王位継承、デルフォイの神託の内容、出発直前に妻へ言葉を残したという話、戦死後の遺体への処遇を記載。

  7. コトバンク「レオニダス」(精選版日本国語大辞典・日本大百科全書ほか)

    kotobank.jp

    王だった期間(紀元前488年〜紀元前480年)、「西洋の武人の鑑」「スパルタの戦士の理想を体現した」という後の時代の評価を記載。

  8. ウィキペディア日本語版「テルモピュライの戦い」

    ja.wikipedia.org

    山道発見後の徹底抗戦・撤退をめぐる分裂、残留した兵力(スパルタ300・テスピアイ700・テーバイ400)、「来たりて取れ」の逸話、アルテミシオン海戦との同時進行、サラミスの海戦・プラタイアの戦いへの影響、シモーニデース作とされる碑文とその作者をめぐる異説を記載。

  9. ウィキペディア日本語版「シモーニデース」

    ja.wikipedia.org

    テルモピュライの戦死者に捧げたとされる碑文の内容を記載。

  10. 山川出版社『山川 世界史小辞典(改訂新版)』(2011年)レオニダス項

    レオニダス1世がテルモピュライの戦いで300人のスパルタ兵とともに戦死した経緯を記す定評ある世界史辞典。

  11. y-history.net「レオニダス」

    y-history.net

    デルフォイの神託、300人選抜の背景(カルネイア祭による兵力制約)を紹介する世界史解説サイト。

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