諸葛亮、最も弱い国から攻めに出た決断

決断の瞬間 諸葛孔明編 第4話

諸葛亮、最も弱い国から攻めに出た決断。時代背景から、現場での出来事までをたどる。

テーマ: 諸葛孔明想定読了時間: 約3分

時代背景

透真
前回、諸葛亮は劉備の死後、皇帝の座を求めず、丞相として劉禅を支える道を選んだ。今回は、その後の話だ。クロノス、当時の蜀・魏・呉、三国の力関係は?
クロノス
蜀は魏・呉と比べて、国力・人口ともに最も小さい国だったと記録されています。
玲司
三国の中で、一番弱い立場だったのか。
透真
クロノス、227年、諸葛亮はどう動いた?
クロノス
227年、諸葛亮は皇帝劉禅に「出師表(※1)」を上奏し、魏への北伐(※2)を開始しました。
玲司
一番弱い国が、自分から攻め込む決断をしたのか。普通なら、守りを固めそうなものだけどな。

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用語解説

出師表

諸葛亮が北伐に出発するにあたり、皇帝劉禅に上奏した文書。

北伐

蜀漢が魏を討つために行った、複数回にわたる軍事遠征。

五丈原

現在の陝西省宝鶏市付近。234年、諸葛亮が没した地。

司馬懿

魏の武将・政治家。字は仲達。諸葛亮の北伐に対応し、後に晋建国の礎を築いた一族の祖となった。

管仲・蕭何

管仲は春秋時代斉の名宰相、蕭何は前漢建国を支えた名宰相。ともに卓越した政治手腕で知られる人物。

出典

  1. ウィキペディア日本語版「五丈原の戦い」

    ja.wikipedia.org

    234年の第五次北伐、五丈原での司馬懿との百日以上の対陣、諸葛亮の病死、撤退時の司馬懿の追撃中止と「死せる諸葛、生ける仲達を走らす」という俚言の成立、『晋書』宣帝紀に基づく司馬懿の「天下奇才也」「吾能料生、不能料死也」の発言を記載。

  2. ウィキペディア日本語版「諸葛亮」

    ja.wikipedia.org

    227年の出師表提出と北伐開始、蜀の国力に関する位置づけ、陳寿による「識治之良才、管蕭之亜匹」「連年動衆、未能成功、蓋応変将略、非其所長歟」という評価、司馬懿による生前・没後の評価を記載。

  3. ウィキペディア日本語版「泣いて馬謖を斬る」

    ja.wikipedia.org

    228年の街亭の戦いでの馬謖の敗北経緯、正史における馬謖の獄死と諸葛亮が涙を流した記録、『三国志演義』における処刑場面との違いを記載。

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