決断の瞬間 吉田松陰編 第1話 中高生向け
吉田松陰、24歳で黒船密航を企てた。なぜ、吉田松陰から始めるのか・当時の時代・生まれと子ども時代から、現場での出来事までをたどる。
なぜ、吉田松陰から始めるのか
当時の時代
生まれと子ども時代
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『吉田松陰、24歳で黒船密航を企てた』の先で何が起きたのか
「決断の瞬間」シリーズは初月無料。続きを読んで、現場の出来事とその後、同じ時代の人が残した言葉までを確かめる。
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松下村塾(しょうかそんじゅく)
吉田松陰が1857年に萩で開いた私塾。1859年に松陰が処刑されるまでのおよそ2年間、伊藤博文・山県有朋・高杉晋作・久坂玄瑞ら、後に明治維新を引っぱる人たちを教えた。
鎖国(さこく)
江戸幕府が、貿易や渡航を厳しく制限した政策。オランダや中国など一部を除き、日本人が海外に行くことも、外国人が日本に来ることも禁止していた。
山鹿流兵学(やまがりゅうへいがく)
江戸時代の学者・山鹿素行が体系化した軍事学の一派。吉田家は代々この学問の先生をつとめていた。
佐久間象山(さくましょうざん)
信濃松代藩(今の長野県)出身の学者。西洋の大砲の技術や蘭学にくわしく、松陰をはじめ多くの人に影響をあたえた。
日米和親条約(にちべいわしんじょうやく)
1854年、江戸幕府とアメリカが結んだ条約。下田・箱館(はこだて)を開くことなどを決め、日本が外国に対して開かれる、いちばん最初のきっかけになった。
投夷書(とういしょ)
密航したい理由を書いて、外国船の乗組員に渡した願い出の手紙。
幽囚録(ゆうしゅうろく)
密航に失敗したあと、牢の中で松陰が書いた手記。渡航を計画した経緯や思いが書かれている。
出典
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ウィキペディア日本語版「吉田松陰」
ja.wikipedia.org松陰の生年月日(1830年9月20日)と出生地、実父・杉百合之助のもとでの子ども時代の畑仕事と素読の様子、4歳での吉田大助の養子入りと、その死後の玉木文之進による教育、9歳での兵学教授見習い・11歳での藩主の前での講義、江戸遊学と佐久間象山への弟子入り、1857年開塾の松下村塾での指導期間と、伊藤博文・山県有朋ら教え子のその後を記載。
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ウィキペディア日本語版「金子重之輔」
ja.wikipedia.org金子重之輔の生涯、松陰との出会い、密航計画への参加、岩倉獄での病死(1855年2月27日、23歳)を記載。
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ウィキペディア日本語版「佐久間象山」
ja.wikipedia.org松陰への送別の詩「吉田義卿を送る」を贈ったことによる連座、1854年4月の投獄、同年9月の松代での謹慎処分を記載。
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下田市公式サイト「吉田松陰による『踏海の企て』」
city.shimoda.shizuoka.jp1854年3月の下田到着から、2度の乗船未遂、自首、萩送還に至る経緯を記した歴史解説。
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国立国会図書館「中高生のための 幕末・明治の日本の歴史事典」吉田松陰紹介ページ
kodomo.go.jp黒船密航計画の概要、投獄後の読書・著作活動、松下村塾での教育活動を紹介する人物解説。
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WEB歴史街道「吉田松陰が玉木文之進から学んだ『公』の精神」
rekishikaido.php.co.jp玉木文之進による幼少期の松陰への厳格な教育の逸話(体をかいたことへの叱責)を紹介する解説記事。
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nippon.com「世界が初めて出会った『志士』」
nippon.comペリーが著書『日本遠征記』(M・C・ペリー著、F・L・ホークス編纂、宮崎壽子監訳)で、松陰と金子重之輔の密航企図を日本人の知識欲の証拠として評価した記述を紹介。