決断の瞬間 古代ギリシャ編 第3話 中高生向け
アルキビアデス、祖国ではなく敵国を選んだ。当時の時代・生まれと育ち・政治家としての活躍から、現場での出来事までをたどる。
当時の時代
生まれと育ち
政治家としての活躍
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『アルキビアデス、祖国ではなく敵国を選んだ』の先で何が起きたのか
「決断の瞬間」シリーズは初月無料。続きを読んで、現場の出来事とその後、同じ時代の人・後の時代の人が残した評価までを確かめる。
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コロネイアの戦い
紀元前447年、アテネとボイオティア地方の都市の間で行われた戦い。アルキビアデスの父クレイニアスはこの戦いで戦死した。
アルクマイオン家
アテネの名門一族。政治家ペリクレスもこの家系につながる。
ニキアスの和約
紀元前421年、アテネとスパルタの間で結ばれた講和条約。ペロポネソス戦争をいったん止めたが、長続きしなかった。
涜神罪(とくしんざい)
神聖なものを傷つけた・けがしたとされる罪。アテネでは重い罪として扱われた。
デケレイア
アテネの近くにある要地。スパルタ軍がここに要塞を築き、アテネへの圧力の拠点とした。
太守(たいしゅ)
ペルシア帝国で、地方の統治を任された長官。サトラップとも呼ばれる。
キュジコスの戦い
紀元前410年、アテネの艦隊がスパルタの艦隊に勝った海の戦い。
ノティオンの海戦
紀元前406年、アテネの艦隊がスパルタの艦隊に敗れた海の戦い。アルキビアデスがいないときに部下が勝手に動いて起きた敗北とされる。
出典
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ウィキペディア日本語版「アルキビアデス」
ja.wikipedia.org生まれた年、クレイニアスとデイノマケの子として生まれたこと、シケリア遠征の提案、ヘルメス神像破壊事件での告発、召還命令とスパルタへの亡命、人物評(傲慢・横暴)を記載。
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ウィキペディア日本語版「シケリア遠征」
ja.wikipedia.org紀元前415〜前413年のシケリア遠征の経緯、アルキビアデスの提案から召還に至る背景を記載。
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コトバンク「アルキビアデス」(複数辞典)
kotobank.jp生没年(紀元前450年ごろ〜前404年)、ペリクレスの後見のもとで育ったこと、召還命令への不服従とスパルタ亡命、そのあとのペルシア亡命・アテネ帰還・暗殺に至る経緯、人物評(百科事典マイペディア「行動は奔放、無節操」、ブリタニカ国際大百科事典「無節操きわまりなく」)を記載。
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英語版ウィキペディア「Alcibiades」
en.wikipedia.org父クレイニアスが紀元前447年のコロネイアの戦いで戦死したこと、ペリクレスとその兄アリフロンが後見人になった経緯、母デイノマケがアルクマイオン家出身でペリクレス・アリフロンのいとこにあたること、ヘルメス神像破壊事件後にアテネで本人不在のまま死刑を宣告され財産を没収されたこと、トゥキュディデス『戦史』第6巻15節における人物評を記載。