諸葛亮、27歳で隠遁生活を捨てた決断

決断の瞬間 諸葛孔明編 第1話 中高生向け

諸葛亮、27歳で隠遁生活を捨てた決断。当時の時代・生まれと子ども時代から、現場での出来事までをたどる。

テーマ: 諸葛孔明想定読了時間: 約6分

当時の時代

透真
今回から諸葛孔明(しょかつこうめい)編を始めるよ。まず、孔明が生まれたころの中国が、どんな時代だったか。クロノス、教えてくれ。
クロノス
184年に起きた黄巾(こうきん)の乱をきっかけに、後漢(ごかん)という国の力は急に弱くなり、各地で有力者たちが自分の勢力を作って争う、戦乱の時代が続いていました。
日和
後漢っていう国はまだ形の上ではあったけど、実際にはもうバラバラだったってことか。

生まれと子ども時代

透真
クロノス、諸葛亮(しょかつりょう)の生まれについて教えてくれ。
クロノス
諸葛亮は181年、徐州(じょしゅう)琅邪郡(ろうやぐん)陽都県(ようとけん)で生まれました。父の諸葛珪(しょかつけい)は、泰山郡(たいざんぐん)の副長官のような役職についていましたが、諸葛亮が幼いころに亡くなっています。兄には後に呉(ご)という国に仕えた諸葛瑾(しょかつきん)、弟には諸葛均(しょかつきん)がいて、姉が二人いました。
日和
お父さんを早くに亡くしてるんだ。きょうだいも多かったんだね。
透真
クロノス、お父さんが亡くなったあと、諸葛亮兄弟はどうなった?
クロノス
叔父の諸葛玄(しょかつげん)に引き取られました。諸葛玄は豫章(よしょう)という土地の長官に任命されて一族を連れて行きましたが、後にその役職を失い、荊州(けいしゅう)の劉表(りゅうひょう)という有力者を頼りました。諸葛玄が亡くなった後、諸葛亮は弟の諸葛均と一緒に、襄陽(じょうよう)の近くの隆中(りゅうちゅう)という土地に移り、農業をしながら暮らしました。
日和
親を亡くして、頼っていた叔父さんまで亡くなって、若いうちから何度も生活が変わったんだね。
透真
クロノス、隆中での生活はどんなものだった?
クロノス
晴れの日は畑を耕し、雨の日は本を読むという生活を送り、『梁父吟(りょうほぎん)』という歌をよく歌っていたと記録されています。自分のことを、春秋時代(しゅんじゅうじだい)の名宰相・管仲(かんちゅう)や、戦国時代の名将・楽毅(がくき)に例えていましたが、当時それを本気で認める人はほとんどおらず、親友の崔州平(さいしゅうへい)と徐庶(じょしょ)だけが認めていたと伝えられています。周りからは「臥龍(がりょう、伏せている龍という意味)」と呼ばれていました。
日和
自分から「私は将来の名宰相・名将軍クラスの人物だ」って言い続けてたのか。ちょっとびっくりだけど、信じてくれる友達はちゃんといたんだね。
透真
クロノス、このころ、諸葛亮の結婚についての記録は?
クロノス
地元の有名人・黄承彦(こうしょうげん)が「私の娘は色が黒くて見た目は良くないが、才能は君にふさわしい」と申し出て、諸葛亮はこれを受け入れ、黄氏(黄月英、こうげつえい)という女性と結婚しました。この結婚は当時の人々の間で話題になり、「孔明の嫁選びをまねするな、阿承(黄承彦)の見た目の悪い娘をもらうことになるぞ」ということわざのような言葉が、郷里で広まったと記録されています。
日和
見た目より才能を選んだってことで、当時からネタにされちゃってたんだ。今も昔も、人の結婚に口を出したくなる人はいるんだね。

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用語解説

諸葛亮(しょかつりょう)

字(あざな、通称のようなもの)は孔明。181〜234年。蜀漢(しょくかん)の丞相(じょうしょう、今でいう総理大臣のような役職)として劉備・劉禅に仕えた政治家・軍略家。

隆中(りゅうちゅう)

現在の湖北省襄陽市の近くにある地名。諸葛亮が若いころに農業をしながら暮らした場所とされる。

臥龍(がりょう)

「伏せている龍」という意味で、まだ世に出ていない大人物を指す評価の言葉。

隆中対(りゅうちゅうたい)

諸葛亮が劉備に示した、天下を三つに分ける戦略の構想。荊州・益州を確保することと、孫権との同盟が柱になっている。

出典

  1. ウィキペディア日本語版「三顧の礼」

    ja.wikipedia.org

    207年冬〜208年春の劉備による隆中訪問、正史『三国志』における三顧の礼の記述と、『魏略』等における異説の存在を記載。

  2. ウィキペディア日本語版「諸葛亮」

    ja.wikipedia.org

    諸葛亮の生年(181年)・出生地(徐州琅邪郡陽都県)、隆中での農耕生活、「臥龍」の評価、隆中対の内容、劉備出仕後の経歴を記載。

  3. ウィキペディア日本語版「諸葛珪」

    ja.wikipedia.org

    諸葛珪が泰山郡丞を務めたこと、諸葛亮が幼い頃に死去したこと、諸葛瑾・諸葛亮・諸葛均・二人の姉妹という子女構成を記載。

  4. ウィキペディア日本語版「黄月英」

    ja.wikipedia.org

    父・黄承彦による結婚の申し出の内容、諸葛亮がこれを受け入れた経緯、当時広まった俗謡「莫作孔明択婦」を記載。

  5. 三国志.jp「諸葛亮」

    sangokushi.jp

    諸葛亮が管仲・楽毅になぞらえていたこと、それを親友の崔州平・徐庶のみが認めていたこと、家族構成、黄承彦の娘との結婚を記載。

  6. はじめての三国志「三顧の礼」関連記事

    hajimete-sangokushi.com

    隆中対の戦略内容、司馬徽による「臥龍鳳雛」評、徐庶による推挙の経緯を記載。

  7. 『蜀相』杜甫【原文・書き下し文・現代語訳・解説】

    chugokugo-script.net

    杜甫が760年に諸葛亮を祀る祠を訪れて詠んだ詩「蜀相」の原文・書き下し文・現代語訳を掲載。「三顧頻煩天下計、両朝開済老臣心」の句を含む。

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