吉田松陰、獄中で講義を始めた

決断の瞬間 吉田松陰編 第3話

吉田松陰、獄中で講義を始めた。時代背景・生い立ちの振り返りから、現場での出来事までをたどる。

テーマ: 吉田松陰想定読了時間: 約4分

時代背景

透真
黒船密航、脱藩ときて、今回は牢屋の中の話だ。クロノス、投獄までの経緯を教えてくれ。
クロノス
1854年(安政元年)、黒船への密航に失敗した松陰は自首し、江戸の伝馬町の獄を経て萩に送還されています。同年12月、萩の野山獄(※1)に投獄されました。
玲司
密航に失敗して、今度は本当に牢屋に入れられたのか。
透真
クロノス、野山獄には他にどんな人物がいた?
クロノス
野山獄には、松陰のほかにも複数の囚人がいました。富永有隣、高須久子を含む11名が同じ獄にいたとされています。

生い立ちの振り返り

透真
クロノス、この時点までの松陰の歩みを簡単に確認しておこう。
クロノス
松陰は1830年、長州萩の下級武士の家に生まれ、4歳で山鹿流兵学師範・吉田家の養子となり、叔父・玉木文之進の厳格な指導を受けました。9歳で兵学教授見習となり、江戸で佐久間象山に師事しています。1851年には東北遊学のため脱藩し、士籍を失いました。1854年には黒船への密航を試み、失敗しています。
玲司
ここまで、ずっと「知りたい」「約束を守りたい」で突き進んできたわけか。それが今度は牢屋の中でどうなるんだ。

年表

  1. 1854密航失敗後、自首・伝馬町の獄を経て萩へ送還
  2. 1854.12野山獄に投獄。囚人11名と生活を共にする
  3. 獄中同囚に論語・孟子を講義。1年で約600冊を読書
  4. 1855出獄。実家の杉家で幽閉の身に
  5. 1857.11.5松下村塾を引き継ぐ
  6. 1857-1858約50名の門人が集まる(〜1858.12)

舞台

野山獄跡(山口県萩市)―松陰が投獄され講義を行った獄

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用語解説

野山獄

萩にあった牢獄の一つ。武士の身分の者が収容された。庶民身分の者が入る岩倉獄とは区別されていた。

講孟余話

松陰が野山獄・杉家幽室で、囚人らと『孟子』を読み合った際の感想・意見をまとめた著作。

幽閉

外部との出入りを制限され、指定された場所に閉じ込められる処分。

明倫館

長州藩が藩士の子弟教育のために設けた藩校。

塾頭

塾において、師範を補佐し塾生を指導する役職。

出典

  1. ウィキペディア日本語版「吉田松陰」

    ja.wikipedia.org

    松陰の生い立ちの概要、投獄までの経緯、門人・品川弥二郎「温順にして怒るといふことのなき体格の小兵の人であった」、渡辺蒿蔵「丈高からず、痩形であり、顔色は白っぽい。天然痘の痕があった」、野村靖「小男の痩せた赤あばたのある……炯々たる眼光は直に人の肺腑を貫く」という人物評、および講説の様子に関する記述を記載。

  2. ウィキペディア日本語版「松下村塾」

    ja.wikipedia.org

    松下村塾の創設経緯(玉木文之進・久保五郎左衛門)、1857年11月5日の松陰による引き継ぎ、身分を問わない塾生受け入れ、高杉晋作・久坂玄瑞ら主要門人を記載。

  3. 国立国会図書館「近代日本人の肖像」吉田松陰

    ndl.go.jp

    密航企図後の投獄、野山獄への移送、出獄後の幽閉と松下村塾開塾、門人の顔ぶれを記載する公式人物解説。

  4. 萩市ホームページ「文とゆかりの地 野山獄・岩倉獄跡」

    city.hagi.lg.jp

    野山獄での松陰の講義活動(同囚への論語・孟子の講義)、松陰自身の俳諧・書の学習、獄吏が聴き入った逸話を紹介する公式解説。

  5. 国立国会図書館「中高生のための 幕末・明治の日本の歴史事典」吉田松陰紹介ページ

    kodomo.go.jp

    投獄後の読書量(1年で約600冊)や著作活動を紹介する人物解説。

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