決断の瞬間 吉田松陰編 第3話
吉田松陰、獄中で講義を始めた。時代背景・生い立ちの振り返りから、現場での出来事までをたどる。
時代背景
生い立ちの振り返り
年表
- 1854密航失敗後、自首・伝馬町の獄を経て萩へ送還
- 1854.12野山獄に投獄。囚人11名と生活を共にする
- 獄中同囚に論語・孟子を講義。1年で約600冊を読書
- 1855出獄。実家の杉家で幽閉の身に
- 1857.11.5松下村塾を引き継ぐ
- 1857-1858約50名の門人が集まる(〜1858.12)
舞台
野山獄跡(山口県萩市)―松陰が投獄され講義を行った獄
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『吉田松陰、獄中で講義を始めた』の先で何が起きたのか
「決断の瞬間」シリーズは初月無料。続きを読んで、現場の出来事とその後、同時代人・後世の評価までを確かめる。
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野山獄
萩にあった牢獄の一つ。武士の身分の者が収容された。庶民身分の者が入る岩倉獄とは区別されていた。
講孟余話
松陰が野山獄・杉家幽室で、囚人らと『孟子』を読み合った際の感想・意見をまとめた著作。
幽閉
外部との出入りを制限され、指定された場所に閉じ込められる処分。
明倫館
長州藩が藩士の子弟教育のために設けた藩校。
塾頭
塾において、師範を補佐し塾生を指導する役職。
出典
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ウィキペディア日本語版「吉田松陰」
ja.wikipedia.org松陰の生い立ちの概要、投獄までの経緯、門人・品川弥二郎「温順にして怒るといふことのなき体格の小兵の人であった」、渡辺蒿蔵「丈高からず、痩形であり、顔色は白っぽい。天然痘の痕があった」、野村靖「小男の痩せた赤あばたのある……炯々たる眼光は直に人の肺腑を貫く」という人物評、および講説の様子に関する記述を記載。
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ウィキペディア日本語版「松下村塾」
ja.wikipedia.org松下村塾の創設経緯(玉木文之進・久保五郎左衛門)、1857年11月5日の松陰による引き継ぎ、身分を問わない塾生受け入れ、高杉晋作・久坂玄瑞ら主要門人を記載。
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国立国会図書館「近代日本人の肖像」吉田松陰
ndl.go.jp密航企図後の投獄、野山獄への移送、出獄後の幽閉と松下村塾開塾、門人の顔ぶれを記載する公式人物解説。
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萩市ホームページ「文とゆかりの地 野山獄・岩倉獄跡」
city.hagi.lg.jp野山獄での松陰の講義活動(同囚への論語・孟子の講義)、松陰自身の俳諧・書の学習、獄吏が聴き入った逸話を紹介する公式解説。
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国立国会図書館「中高生のための 幕末・明治の日本の歴史事典」吉田松陰紹介ページ
kodomo.go.jp投獄後の読書量(1年で約600冊)や著作活動を紹介する人物解説。