諸葛亮、降伏論の陣営に乗り込んで同盟を説いた決断

決断の瞬間 諸葛孔明編 第2話

諸葛亮、降伏論の陣営に乗り込んで同盟を説いた決断。時代背景から、現場での出来事までをたどる。

テーマ: 諸葛孔明想定読了時間: 約3分

時代背景

透真
前回、27歳の諸葛亮は隆中での隠遁生活を離れ、劉備に仕える決断をした。今回はその翌年、208年の話だ。クロノス、当時の状況を教えてくれ。
クロノス
208年、華北を平定した曹操は荊州へ南下しました。荊州の当主・劉表が病死し、跡を継いだ劉琮は9月に曹操へ降伏しました。劉備はこれにより荊州を離れ、南へ逃れることになりました。
玲司
仕えたばかりの劉備が、後ろ盾にしていた荊州ごと、戦わずに降伏されちゃったのか。
透真
クロノス、この時の曹操軍の規模は?
クロノス
曹操は自軍を「八十万」と称し、孫権に対して臣従を促す書状を送っています。孫権側の兵力は数万規模だったと記録されています。
玲司
向こうは(数字通りかは別として)圧倒的な大軍を名乗ってるのか。そりゃ怖気づくよな。

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用語解説

劉琮

劉表の子。父の死後に荊州を継いだが、208年に曹操へ降伏した。

張昭

孫権配下の重臣。赤壁の戦いに際して降伏を説いた。

魯粛

孫権配下の武将。赤壁の戦いに際して抗戦と劉備との同盟を説いた。

周瑜

孫権配下の武将。赤壁の戦いで大都督として曹操軍を迎え撃った。

黄蓋

孫権配下の武将。赤壁の戦いで火攻めを実行した。

出師表

諸葛亮が北伐に出発するにあたり、皇帝劉禅に上奏した文書。227年に上奏された。

出典

  1. ウィキペディア日本語版「赤壁の戦い」

    ja.wikipedia.org

    208年の曹操の荊州南下、劉琮の降伏、孫権陣営における張昭の降伏論と魯粛の抗戦論、諸葛亮による曹操軍の弱点指摘(水上戦不慣れ・疫病の懸念・従属兵の忠誠心の低さ)、孫権による周瑜大都督任命、黄蓋の火攻めと曹操軍の疫病による敗走を記載。

  2. ウィキペディア日本語版「諸葛亮」

    ja.wikipedia.org

    赤壁の戦いにおける諸葛亮の孫権陣営への派遣と説得の経緯、227年の出師表上奏を記載。

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