諸葛亮、27歳で隠遁生活を捨てた決断

決断の瞬間 諸葛孔明編 第1話

諸葛亮、27歳で隠遁生活を捨てた決断。時代背景・生い立ちから、現場での出来事までをたどる。

テーマ: 諸葛孔明想定読了時間: 約5分

時代背景

透真
今回から諸葛孔明編を始める。まず、孔明が生まれた頃の中国がどんな時代だったか、クロノス、教えてくれ。
クロノス
184年の黄巾の乱以降、後漢王朝の統制力は急速に弱まり、各地で群雄が独自に勢力を築いて争う戦乱の時代が続いていました。
玲司
後漢っていう国自体は、まだ形の上ではあったけど、実質はもうバラバラだったのか。

生い立ち

透真
クロノス、諸葛亮(※1)の出自について教えてくれ。
クロノス
諸葛亮は181年、徐州琅邪郡陽都県に生まれました。父の諸葛珪は泰山郡丞(郡の副長官)を務めましたが、諸葛亮が幼い頃に死去しています。兄に後に呉に仕えた諸葛瑾、弟に諸葛均、姉が二人おり、それぞれ蒯祺・龐山民に嫁いだと記録されています。
玲司
父親を早くに亡くしてるんだな。兄弟姉妹も多かったのか。
透真
クロノス、父の死後、諸葛亮兄弟はどうなった?
クロノス
叔父の諸葛玄に引き取られました。諸葛玄は豫章太守に任じられて一族を連れて赴任しましたが、後にその職を失い、荊州の劉表を頼っています。諸葛玄の死後、諸葛亮は弟の諸葛均とともに、襄陽近郊の隆中(※2)に移り、農耕をしながら暮らしました。
玲司
親を亡くして、頼った叔父まで亡くして、若いうちから自分の生活基盤を何度も変えなきゃいけなかったのか。
透真
クロノス、隆中での生活はどんなものだった?
クロノス
晴耕雨読の日々を送り、好んで『梁父吟』を歌っていたと記録されています。自らを春秋斉の名宰相・管仲、戦国燕の名将・楽毅になぞらえていましたが、当時それを認める者はほとんどおらず、親友の崔州平(※3)と徐庶(※4)だけがそれを認めていたと伝えられています。周囲からは「臥龍(※5)」と呼ばれていました。
玲司
自分から「私は管仲・楽毅クラスの人物だ」って言い続けてたのか。しかも、それを信じてくれる友達は限られてたんだな。
透真
クロノス、この時期、諸葛亮の結婚についての記録は?
クロノス
地元の名士・黄承彦が「私の娘は色が黒く器量は良くないが、才は君に相応しい」と申し出て、諸葛亮はこれを受け入れ、黄氏(黄月英、※6)を娶りました。この結婚は当時の人々の間で話題となり、「孔明の嫁選びを真似るな、阿承(黄承彦)の醜い娘をもらう羽目になるぞ」という俗謡が郷里で広まったと記録されています。
玲司
見た目より才知を選んだってことで、当時からネタにされてたのか。今も昔も、人の結婚には口を出したくなる人がいるんだな。

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用語解説

諸葛亮

字は孔明。181〜234年。蜀漢の丞相として劉備・劉禅に仕えた政治家・軍略家。

隆中

現在の湖北省襄陽市付近の地名。諸葛亮が若い頃に農耕生活を送った場所とされる。

崔州平

諸葛亮の親友の一人。当時から諸葛亮の才能を認めていた人物とされる。

徐庶

諸葛亮の親友。後に劉備に仕え、諸葛亮を「臥龍」として推挙した。

臥龍

「伏せている龍」の意味で、まだ世に出ていない大人物を指す評価。

黄月英

荊州の名士・黄承彦の娘。諸葛亮の妻。

司馬徽

人物評価で知られた当時の名士。「水鏡先生」と呼ばれた。

隆中対

諸葛亮が劉備に示した天下三分の戦略構想。荊州・益州の確保と孫権との同盟を柱とする。

出典

  1. ウィキペディア日本語版「三顧の礼」

    ja.wikipedia.org

    207年冬〜208年春の劉備による隆中訪問、正史『三国志』における三顧の礼の記述と、『魏略』等における異説の存在を記載。

  2. ウィキペディア日本語版「諸葛亮」

    ja.wikipedia.org

    諸葛亮の生年(181年)・出生地(徐州琅邪郡陽都県)、隆中での農耕生活、「臥龍」の評価、隆中対の内容、劉備出仕後の経歴を記載。

  3. ウィキペディア日本語版「諸葛珪」

    ja.wikipedia.org

    諸葛珪が泰山郡丞を務めたこと、諸葛亮が幼い頃に死去したこと、諸葛瑾・諸葛亮・諸葛均・二人の姉妹という子女構成を記載。

  4. ウィキペディア日本語版「黄月英」

    ja.wikipedia.org

    父・黄承彦による結婚の申し出の内容、諸葛亮がこれを受け入れた経緯、当時広まった俗謡「莫作孔明択婦」を記載。

  5. 三国志.jp「諸葛亮」

    sangokushi.jp

    諸葛亮が管仲・楽毅になぞらえていたこと、それを親友の崔州平・徐庶のみが認めていたこと、家族構成、黄承彦の娘との結婚を記載。

  6. はじめての三国志「三顧の礼」関連記事

    hajimete-sangokushi.com

    隆中対の戦略内容、司馬徽による「臥龍鳳雛」評、徐庶による推挙の経緯を記載。

  7. 『蜀相』杜甫【原文・書き下し文・現代語訳・解説】

    chugokugo-script.net

    杜甫が760年に諸葛亮を祀る祠を訪れて詠んだ詩「蜀相」の原文・書き下し文・現代語訳を掲載。「三顧頻煩天下計、両朝開済老臣心」の句を含む。

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