アルキビアデス、祖国ではなく敵国を選んだ

決断の瞬間 古代ギリシャ編 第3話

アルキビアデス、祖国ではなく敵国を選んだ。時代背景・生い立ち・政治家としての台頭から、現場での出来事までをたどる。

テーマ: 古代ギリシャ想定読了時間: 約6分

時代背景

透真
スパルタ編、テーバイ編ときて、今回からアテネ編だ。主役はアルキビアデス。クロノス、まず当時のアテネがどんな国だったか教えてくれ。
クロノス
紀元前5世紀のアテネは、成人男性市民が民会に集まって国政を決める民主政の国でした。前431年、アテネを中心とするデロス同盟と、スパルタを中心とするペロポネソス同盟の間でペロポネソス戦争が始まっています。
玲司
スパルタ編で見た、あのスパルタとの戦争か。
透真
クロノス、その戦争が長引く中、アテネ国内はどんな状況だった?
クロノス
戦争の長期化に伴い、アテネ市民の間では、和平を志向する穏健派と、さらなる戦争で勢力を拡大しようとする主戦派の対立が続いていました。
玲司
戦争するかしないかで、国内も割れてたんだな。
透真
その対立の中で存在感を増していくのが、今回の主役だ。まずは生い立ちから見ていこう。

生い立ち

透真
クロノス、アルキビアデスはいつ、どんな家に生まれた?
クロノス
記録によれば、アルキビアデスは前450年頃、アテネでクレイニアスとデイノマケの子として生まれました。
透真
クロノス、父クレイニアスについての記録は?
クロノス
クレイニアスは前447年、コロネイアの戦い(※1)で戦死しています。
玲司
え、父親、幼い頃に戦争で亡くなってるのか。
透真
クロノス、父の死後、アルキビアデスの後見人になったのは誰?
クロノス
政治家ペリクレスと、その兄アリフロンが後見人になったと伝えられています。母デイノマケはアテネの名門アルクマイオン家(※2)の出身で、ペリクレスとアリフロンはデイノマケの従兄弟にあたります。
玲司
単に知り合いに預けられたんじゃなくて、母方の親戚だったのか。しかもアテネの全盛期を築いた、あのペリクレスに。
透真
クロノス、ソクラテスとの関係についての記録は?
クロノス
ポティダイアの戦いでは負傷したアルキビアデスをソクラテスが救出し、後のデリオンの戦いでは、退却するソクラテスをアルキビアデスが馬で救出したと伝えられています。
玲司
お互いに命を助け合う仲だったのか。名門の後見人と、当代随一の哲学者。かなり恵まれた環境で育ったんだな。

政治家としての台頭

透真
クロノス、政治の舞台に出てからのアルキビアデスの動きは?
クロノス
前421年のニキアスの和約(※3)でスパルタとの戦争が一旦落ち着いた後、アテネ国内では主戦論が高まりました。
玲司
戦争が終わったばかりなのに、また戦おうって話になったのか。
透真
クロノス、アルキビアデスはその中でどう動いた?
クロノス
アルキビアデスは、シチリア島全土を支配下に置くべきだとして、シケリア遠征を提案しました。保守派の政治家ニキアスは反対しましたが、アルキビアデスがこの計画を推し進め、前415年、遠征軍の指揮官の一人に選ばれています。
透真
これから大規模な遠征に出発する、という状況だ。ここで一つ事件が起きる。

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用語解説

コロネイアの戦い

前447年、アテネとボイオティア諸都市の間で行われた戦い。アルキビアデスの父クレイニアスはこの戦いで戦死した。

アルクマイオン家

アテネの名門一族。政治家ペリクレスもこの家系に連なる。

ニキアスの和約

前421年、アテネとスパルタの間で結ばれた講和条約。ペロポネソス戦争を一時的に停止させたが、長続きしなかった。

ヘルメス神像

アテネ市内の各所に置かれた、旅や商業の守護神ヘルメスをかたどった石柱像。

涜神罪

神聖なものを冒涜したとされる罪。アテネでは重罪として扱われた。

デケレイア

アテネ近郊の要地。スパルタ軍がここに要塞を築き、アテネへの圧力拠点とした。

太守

ペルシア帝国で、地方(州)の統治を任された長官。サトラップとも呼ばれる。

キュジコス戦

前410年、アテネ艦隊がスパルタ艦隊に勝利した海戦。

ノティオン海戦

前406年、アテネ艦隊がスパルタ艦隊に敗れた海戦。アルキビアデス不在時に部下の独断で生じた敗北とされる。

出典

  1. ウィキペディア日本語版「アルキビアデス」

    ja.wikipedia.org

    生没年、クレイニアスとデイノマケの子として生まれたこと、シケリア遠征の提案、ヘルメス神像破壊事件での告発、召還命令とスパルタへの亡命、人物評(傲慢・横暴)を記載。

  2. ウィキペディア日本語版「シケリア遠征」

    ja.wikipedia.org

    前415〜前413年のシケリア遠征の経緯、アルキビアデスの提案から召還に至る背景を記載。

  3. コトバンク「アルキビアデス」(複数辞典)

    kotobank.jp

    生没年(前450年頃〜前404年)、ペリクレスの後見のもとで育ったこと、召還命令への不服従とスパルタ亡命、その後のペルシア亡命・アテネ帰還・暗殺に至る経緯、人物評(百科事典マイペディア「行動は奔放、無節操」、ブリタニカ国際大百科事典「無節操きわまりなく、彼の政治的行動はすべて利己的打算に基づいていた」)を記載。

  4. 英語版ウィキペディア「Alcibiades」

    en.wikipedia.org

    父クレイニアスが前447年のコロネイアの戦いで戦死したこと、ペリクレスとその兄アリフロンが後見人になった経緯、母デイノマケがアルクマイオン家出身でペリクレス・アリフロンの従妹にあたること、ヘルメス神像破壊事件後にアテネで欠席のまま死刑を宣告され財産を没収されたこと、トゥキュディデス『戦史』第6巻15節における人物評を記載。

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