決断の瞬間 吉田松陰編 第4話
吉田松陰、問われていないことを自ら語った。時代背景・生い立ちの振り返りから、現場での出来事までをたどる。
時代背景
生い立ちの振り返り
年表
- 1858間部詮勝要撃策を提言するも藩に拒絶され再投獄
- 1859梅田雲浜への連座で安政の大獄に連座、江戸へ送致
- 評定所にて問われていない要撃策を自ら告白
- 1859.10.27伝馬町牢屋敷で処刑(享年29、数え30)
- 1863正月高杉晋作・伊藤博文らが遺骨を若林村へ改葬
- 1882墓の近くに松陰神社が築かれる
舞台
伝馬町牢屋敷跡(東京都中央区小伝馬町)―松陰が処刑された地
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『吉田松陰、問われていないことを自ら語った』の先で何が起きたのか
「決断の瞬間」シリーズは初月無料。続きを読んで、現場の出来事とその後、同時代人・後世の評価までを確かめる。
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日米修好通商条約
1858年、江戸幕府とアメリカが結んだ通商条約。天皇の勅許を得ないまま調印されたため、国内で強い反発を招いた。
攘夷
外国勢力を武力で排除しようとする思想・運動。
安政の大獄
1858〜59年、大老・井伊直弼が、条約調印や将軍継嗣問題に反対した公家・大名・志士らを弾圧した事件。
評定所
江戸幕府の最高裁判機関。重大事件の審理などを行った。
国事犯
国家の政治体制に反する行為をしたとされる犯罪者。政治犯。
禁門の変
1864年、長州藩が京都御所周辺で幕府・会津藩などと交戦した事件。長州藩はこの戦いに敗れた。
出典
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ウィキペディア日本語版「吉田松陰」
ja.wikipedia.org間部詮勝要撃策の建白と藩への武器借用願い、梅田雲浜連座による江戸送致、評定所での自発的な告白、死罪宣告、処刑日、および『吉田松陰全集』に基づく死罪申渡し場面での小幡高政の記録(辞世の吟誦と居合わせた幕吏の反応)を記載。
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萩市ホームページ「文とゆかりの地 5 吉田松陰の墓ならびに墓所」
city.hagi.lg.jp「安政六年己未十月二十七日於江戸歿、享年三十歳」と刻まれた墓碑の記述を紹介する公式解説。
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青空文庫「留魂録」
aozora.gr.jp辞世の句「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」、四季になぞらえた死生観を記す原文。
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国立国会図書館「近代日本人の肖像」吉田松陰
ndl.go.jp松陰の生涯全体の経歴を確認できる公的機関による人物解説。
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松陰神社(東京・世田谷)公式サイト「神社由緒」
shoinjinja.org小塚原への埋葬、1863年の高杉晋作・伊藤博文らによる若林村への改葬、1864年の墓の破壊、1868年の墓碑再建、1882年の神社創建に至る経緯を記載。