時代背景
透真今回から新しいシリーズ、スパルタ編だ。舞台は古代ギリシャの都市国家スパルタ。
透真時代も場所もまったく違うが、扱うテーマは同じだ。「退けば助かるのに、あえて残った男」の話だ。しかも、最後は首をはねられて晒されるところまでいく。
透真この人物を理解するには、まず彼が育った社会そのものを知っておく必要がある。玲司、「スパルタ教育」って言葉、知ってるか?
玲司知ってるよ。厳しく育てるとか、根性叩き込むとか、そういう意味だろ。うちの親も「スパルタ教育で育てられた」とか言ってたし。
透真そう、今の日本ではそういう意味で定着してる。でも、それがいつ、どうやって広まった言葉か知ってるか?クロノス、教えてくれ。
クロノス記録によれば、1969年、政治家・作家の石原慎太郎が著書『スパルタ教育:強い子どもに育てる本』を出版し、70万部のベストセラーとなりました。体罰を容認する主張を含む内容で、以後日本では、厳格なしつけや過酷な訓練一般を指す通俗的な言葉として定着したとされています。
玲司え、そんな最近の話だったのか。てっきり、大昔からある言い回しだと思ってた。
透真しかも、この現代的な意味は、実際のスパルタの教育制度とはかなり違う。クロノス、本来のスパルタの教育制度についての記録は?
クロノス本来の制度は「アゴーゲー」(※1)と呼ばれ、市民の男子を軍事的・社会的に養成するための国家主導の公教育でした。7歳で家族から離されて集団生活に入り、食事は常に不足気味に管理され、必要に応じて盗みも許可される一方、見つかれば厳しく罰せられました。18歳で成人と認められ、市民は60歳まで兵舎での生活を基本としていたと記録されています。
玲司ただ厳しいだけじゃなくて、生活の隅々まで軍事目的だったってことか。
透真クロノス、当時のスパルタの社会構成についても教えてくれ。
クロノス記録によれば、スパルタ市民は8千〜1万人ほどで、政治・軍事を独占していました。市民は商業や手工業に従事することを禁じられ、農地の耕作はヘイロタイ(※2)と呼ばれる隷属身分の人々が担っていました。ヘイロタイの人口は15万〜25万人にのぼったとされています。
玲司市民は働かなくていい代わりに、戦うこと以外の生き方を選べなかった、ってことか。
透真そこが、現代の「スパルタ教育」という言葉のイメージと、一番違うところだ。今の言葉は「本人の成長のための厳しさ」というニュアンスを含むことが多い。でも本来のアゴーゲーは、国家が必要とする戦士を安定的に生産するための仕組みだった。ただし、一つ注意しておきたいことがある。クロノス、この点について記録は?
クロノス近現代の考古学的調査や史料批判により、プルタルコスら後代の著述家が伝えたスパルタ像には、理想化や誇張が多く含まれているとする見方があり、これは学術的に「スパルタの幻影」(※3)と呼ばれています。
透真つまり、今伝わっているスパルタの姿は、当時のスパルタ人自身が書き残したものより、後の時代の外部の人間が「こういう国だった」と語り継いだものの割合が大きい。今回のシリーズで扱う逸話も、その前提を踏まえて見てほしい。今回の主役、レオニダスも、この社会の中で育った一人だ。
生い立ち
クロノス父はアナクサンドリデス(※4)、スパルタの王でした。
透真クロノス、アナクサンドリデスの家庭についての記録は?
クロノス記録によれば、アナクサンドリデスは長く子に恵まれず、監督官(エフォロイ)(※5)から離縁と再婚を求められました。本人がこれを拒んだため、監督官と長老会は、離縁せずに二人目の妻を娶ることを提案し、本人はこれを受け入れています。最初の妻は、本人の姉妹の娘(姪)でした。
玲司離婚は嫌だけど、二人目の妻を迎えるのはOKだったのか。当時ならではの妥協案だな。
クロノス二人目の妻との間にクレオメネス1世(※6)が生まれ、これとほぼ同じ時期に、最初の妻も妊娠し、ドリエウス(※7)・レオニダス・クレオンブロトスの3人の息子を授かりました。クレオメネス1世が先に生まれたため、長男として王位を継いでいます。
玲司レオニダスは4人兄弟の中でも、王位継承の順番的には遠い立場だったんだな。
透真クロノス、レオニダス自身の立場についての記録は?
クロノスレオニダスは三男であり、本来は王位につきにくい立場であったと記録されています。
透真クロノス、クレオメネス1世が王位を継いだ後、異母兄のドリエウスはどうなった?
クロノスドリエウスは、クレオメネス1世が王位を継いだことに納得せず、自分の方が有能だと考え、その下でスパルタに留まることを望みませんでした。紀元前515年、北アフリカ・リビュアのキニプス川付近に植民都市の建設を試みましたが、3年後、カルタゴと現地のリビュア人の連合軍によって追い出されています。その後、シケリア(シチリア)西部でヘラクレアという植民都市の建設を試みましたが、カルタゴとセゲスタの連合軍に敗れ、ドリエウスと指揮官級のスパルタ人の大半が戦死しました。
玲司王位継承を諦めて外に出て行った兄も、結局は戦死したのか。
透真クロノス、王のクレオメネス1世は、その後どうなった?
クロノスクレオメネス1世は紀元前490年、陰謀が露見してテッサリアへ逃亡し、その後帰国して王位に復帰しましたが、まもなく発狂したとされ、近親者によって木製の足枷をつけて監禁されました。監禁中に短剣を手に入れ、自らの体を切りつけて死亡したと記録されています。
玲司異母兄が発狂して自害、ってなかなか壮絶な最期だな。
クロノス息子の記録はなく、娘のゴルゴー(※8)が一人子であったとされています。
クロノスドリエウスの戦死、クレオメネス1世の死去と男子の不在により、三男のレオニダスが王位を継ぎました。レオニダスはゴルゴーと結婚しており、王位継承にあたってはクレオメネス1世の娘婿という立場でもありました。日本大百科全書によれば、在位は紀元前488年から紀元前480年とされています。
玲司兄が二人とも欠けたことで、本来王位から遠かったレオニダスに順番が回ってきたんだな。しかも、亡くなった兄の娘と結婚してたっていうのも、複雑な家族関係だな。
透真当時のスパルタ王家では、近親者同士の結婚は珍しくなかった。レオニダスの父アナクサンドリデス自身、最初の妻は自分の姪だった。血縁を固めることで王家の結びつきを保とうとしていた、という側面がある。
出陣までの経緯
透真レオニダスが王になって8年ほど経った紀元前480年、ギリシア世界に大きな脅威が迫っていた。クロノス、状況を教えてくれ。
クロノス紀元前480年、ペルシア王クセルクセス1世が数十万規模ともいわれる大軍でギリシアに侵攻しました。対するギリシア連合軍は、まだ数万規模でしか集まっていませんでした。
透真だからこそ、連合軍が態勢を整えるまでの時間を稼ぐ必要があった。クロノス、選ばれた場所は?
クロノス山と海に挟まれた狭い道――テルモピュライです。大軍でも一度に通れない地形でした。
透真その地形を使えば、少人数でも防げるってわけだ。
玲司地形を使った時間稼ぎか。それで、誰が行ったんだ?
クロノススパルタ王レオニダス1世が、300人の精鋭を率いて向かいました。この300人は「跡継ぎの息子がいる者」から選ばれています。
玲司跡継ぎがいる人を選ぶって、つまり「死んでも家系が途絶えない人」ってことか。
クロノススパルタは当時カルネイア祭(※9)という宗教行事の最中で、本来なら大軍を送れない時期でした。
透真レオニダスは、その制約の中で動かせる最大限の人数として300人を選んだ。クロノス、テルモピュライには他にどんな部隊が集まっていた?
クロノススパルタの300人に加え、テスピアイから700人、テーバイから400人が参加し、合計で数千人規模の連合軍が布陣していたとされています。
玲司スパルタだけで戦ったわけじゃなくて、他の都市国家も一緒に守ってたのか。
クロノス出陣前にデルフォイの神託(※10)を受けていたという記録があります。「王が死ぬか、国が滅びるか」という内容だったと伝えられています。また、出陣の直前、妻ゴルゴーに「よき夫と結婚し、よき子を生めよ」と言い残したという逸話が記録されています。
玲司神託を受けて、しかも妻に別れの言葉まで残して出陣したのか。
透真これが実際の判断にどう影響したかまでは、史料に明記されているわけではない。ただ、こうした言葉を残して出陣したことは事実として記録されている。
年表
- 前480ペルシア王クセルクセス1世、大軍でギリシアに侵攻
- 前480レオニダス、300人を率いテルモピュライへ布陣(テスピアイ700・テーバイ400も合流)
- 前480.8戦闘開始。投降要求に「来たりて取れ」と返す
- 戦闘中アノパイア間道が発見され、連合軍で徹底抗戦か撤退かに分裂
- 前480.8レオニダスら残留部隊、全滅。遺体の首を晒される
- 前480サラミスの海戦でギリシア連合軍が勝利
- 前479プラタイアの戦いでペルシア陸軍を撃破
舞台
テルモピュライ(ギリシャ)―レオニダスが最後に立った地
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用語解説
アゴーゲー
スパルタ市民の男子に課された、国家主導の軍事教育制度。7歳で集団生活に入り、成人後も規律ある生活が続いた。
ヘイロタイ
スパルタが支配した隷属身分の人々。農地の耕作などに従事させられた。
スパルタの幻影
プルタルコスら後代の著述家が伝えたスパルタ像に、理想化や誇張が多く含まれているとする学術的な見方(英語ではSpartan mirage)。
アナクサンドリデス
レオニダスの父。スパルタ王。二人の妻を持ち、二人目の妻の子クレオメネス1世が長男として王位を継いだ。
エフォロイ(監督官)
古代スパルタの公職者。王を含む国政全般を監督する権限を持った。
クレオメネス1世
レオニダスの異母兄。アナクサンドリデスの二人目の妻の子で、長男として先に王位を継いだ。後に発狂したとされ、自害した。
ドリエウス
レオニダスの同母兄。王位継承争いに敗れ、北アフリカ・シケリアへの植民を試みたが、いずれも失敗し戦死した。
ゴルゴー
クレオメネス1世の一人娘で、レオニダスの妻。
カルネイア祭
スパルタで行われた、アポロン神を祀る宗教行事。この期間は大規模な軍事行動を控える慣習があったとされる。
デルフォイの神託
ギリシアのデルフォイにあったアポロン神殿で告げられた神託。国家の重大な決定の際に重んじられた。
アルテミシオン
ギリシア北部の岬。紀元前480年、テルモピュライの戦いと同時期に、ここでギリシア・ペルシア間の海戦が行われた。
サラミスの海戦
紀元前480年、サラミス島付近で行われた海戦。ギリシア連合軍がペルシア海軍に勝利した。
プラタイアの戦い
紀元前479年、ボイオティア地方プラタイアで行われた戦い。ギリシア連合軍がペルシア陸軍に勝利し、ペルシア戦争の帰趨を決した。
シモーニデース
古代ギリシアの詩人。ケオス島出身。テルモピュライの戦死者に捧げたとされる墓碑銘の作者として古くから伝えられてきたが、現在では真作かどうか疑問視されている。
出典
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ウィキペディア日本語版「スパルタ教育」
ja.wikipedia.org
本来のアゴーゲー(国家主導の軍事教育制度、7歳での集団生活入り・60歳までの兵舎生活等)と、1969年の石原慎太郎の著書に由来する現代日本での通俗的な意味の違いを記載。
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ウィキペディア日本語版「スパルタ」
ja.wikipedia.org
スパルタ市民(8千〜1万人)・ヘイロタイ(15万〜25万人)の人口構成、市民が商工業を禁じられていたこと、後代の史料に理想化が多いとする「スパルタの幻影」という学術的見方を記載。
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ウィキペディア日本語版「アナクサンドリデス(スパルタ王)」
ja.wikipedia.org
監督官と長老会による二人目の妻の提案、最初の妻が本人の姪であったこと、二人目の妻の子クレオメネス1世が長男として先に生まれ王位を継いだ経緯、最初の妻の子ドリエウス・レオニダス・クレオンブロトスの出生を記載。
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ウィキペディア日本語版「クレオメネス1世」
ja.wikipedia.org
紀元前490年の陰謀発覚とテッサリアへの逃亡、帰国後の発狂・監禁・自害、娘ゴルゴーが一人子であったことを記載。
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ウィキペディア日本語版「ドリエウス」
ja.wikipedia.org
クレオメネス1世の王位継承への不満、紀元前515年の北アフリカ・リビュアへの植民の試みと失敗、シケリアでの植民の試みと戦死を記載。
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ウィキペディア日本語版「レオニダス1世」
ja.wikipedia.org
父アナクサンドリデス、異母兄クレオメネス1世・ドリエウスとの関係、三男であり王位につきにくい立場であったこと、クレオメネスの娘ゴルゴーとの結婚を通じた王位継承、デルフォイの神託の内容、出陣直前に妻へ言葉を残したという逸話、戦死後の遺体への処遇を記載。
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コトバンク「レオニダス」(精選版日本国語大辞典・日本大百科全書ほか)
kotobank.jp
在位(紀元前488年〜紀元前480年)、「西洋の武人の鑑」「スパルタ戦士の理想を体現したものとしてたたえられた」という後世の評価を記載。
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ウィキペディア日本語版「テルモピュライの戦い」
ja.wikipedia.org
山道発見後の徹底抗戦・撤退をめぐる分裂、残留した兵力(スパルタ300・テスピアイ700・テーバイ400)、「来たりて取れ」の逸話、アルテミシオン海戦との並行、サラミスの海戦・プラタイアの戦いへの影響、シモーニデース作とされる墓碑銘とその作者をめぐる異説を記載。
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ウィキペディア日本語版「シモーニデース」
ja.wikipedia.org
テルモピュライの戦死者に捧げたとされる墓碑銘の内容を記載。
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山川出版社『山川 世界史小辞典(改訂新版)』(2011年)レオニダス項
レオニダス1世がテルモピュライの戦いで300人のスパルタ兵とともに戦死した経緯を記す定評ある世界史辞典。
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y-history.net「レオニダス」
y-history.net
デルフォイの神託、300人選抜の背景(カルネイア祭による兵力制約)を紹介する世界史解説サイト。